2013年5月3日金曜日

トライブ(tribe)という考え方

ファッションにも色々な種類がある。

例えば、原宿系


対して、渋谷系


ファッションには疎いが、第一印象を述べる。
原宿系は、奇抜さを全面に押している。
ピンクの髪や、メルヘンチックな服飾など。
渋谷系は、悪っぽさを出している。
体のラインを意識した服、 強いテンションのかかった髪など。

原宿には、原宿系が好きな子が集まり、渋谷には渋谷系が好きな子が集まる。
両者は、決して衝突などしない。

ここでtribe(部族)という考え方が出てくる。
部族というのは、別に南米の奥地に住んでいる人たちだけのことではない。
高度成長を果たした先進国にも部族の違いというものがファッションを一例にみることができる。
表面的なものは変わっても、その本質はいつの時代、どの世界でも変わらない。

もう少し続ける。
tribe同士は基本的に争わない。
tribeは別のtribeを攻撃しないという暗黙の了解がある。
それは、アマゾンに住む原住民たちもそうだし、原宿系と渋谷系の間でもそうである。
tribeが別のtribeを攻撃するとき、それはtribeが滅びる兆しでもある。
事実、アマゾンの原住部族が他の部族を攻撃するときとは、食べ物がなくなってきたり、女性が少なくなり子孫を残せなくなったりと切羽詰った状況にある。

tribeを人の集まりと簡易に定義すると、最も大きなtribeの集まりとは国であり、そのtribe同士の争いを戦争と拡大解釈できる。
よって、現在、他国を挑発したり攻撃したりしている国は国(tribe)自体が衰退の危機にあるといえる。
日本の近隣や、中東周辺など例を挙げればキリがない。

tribe同士の争いはネット空間にも存在する。
 例えばApple、Microsoft信者同士の争い。
例えばウェブブラウザユーザー同士の争い。
例えばゲームハードメーカー信者同士の争い。
例えばきのこたけのこの争い。
例えばマリアリ、パチュマリの争い。(わかる人にはわかる)

きのこたけのこ戦争


ネット空間でのtribeの争いは現実世界と異なる特徴がある。
1. tribeの衰退の危機にあるわけではないのに争いが起こる
2. 争いをしているのはそのtribeとは直接関係のない者である
3. 争いの理由が非常に幼稚である

人は必ず何かに属さずにはいられない。
家族、社会、学閥、政治派閥、人種、宗教など・・・。
大きさや在り方によって呼び方を変えているにすぎない。
私はそれらを一貫してtribeと考えている。

ネット空間では人は見えない。
同じネット空間を共有しているのは誰か、それは書き込みでしか判断出来ない。
ネットの不透明性は人を現実のtribeから開放する。
宗教から、国から、肌の色から。
そこで、いかなるレッテルも貼られない素の自分をみせることができる。
しかし、tribeからの開放は人を同時に不安にもさせる。
だからネット空間で新たにtribeを作る。
現実の辛く苦しいtribeではなく、実にくだらないtribeを。
そして、属しているtribeの紹介と自己表現のために他のtribeを攻撃する。
これがネット空間内のtribeの争いの事実である。

tribeとは、人を守り、人を縛るものである。
人は、複数の大きさの違うtribeに属する。
在り方が異なるだけで、時代、世界を超えてtribeは存在する。
人は自由でありたいと願い、また別の不自由さを希求する。



あなたは、どんなtribeに属してますか?
 

 

2013年1月16日水曜日

最近の若者はとても保守的【空狐のしっぽからの転載】


最近の若者は保守的だと思う。

草食系なんて言葉がちらほら聞こえる今日この頃例えば、恋愛について。
彼らはとても恋愛に消極的だ。別に恋愛に奥手な訳ではない。
自ら進んで恋愛しようとしないのだ。彼らは口々に言う。
恋愛は面倒くさいと。
彼らに取とって恋愛は敷居が高いことなのである。
彼らの深層心理はこうだ。

もし、フラレたらどうしよう。
ふられた事を周りに知られたらどうしよう。
そう、恋愛の楽しいことを想像し、果敢に異性にアタックするのではなく、ダメだったときのリスクのことばかりが頭に出てきて、結局やめてしまう・・・というか、あきらめてしまうのだ。
恋愛だけではない。

昨今車業界やバイク業界では、最近の若者が車を買ってくれないと嘆いている。
若者相手に車やバイクが売れないのだ。
若者の興味は車でなくなったのか?私は違うと思う。
若者だってカッコいい車やバイクは欲しい。
でも、いざ購入するとなると維持費、燃費、費用対効果などなど非常にリアリスティックな一面が頭をよぎるのだ。

同じように、結果やめてしまう・・・というかあきらめてしまう。
では、なぜ彼らは保守的というか現実的な考えを持っているのか。
私は彼らの成長期における日本の経済状況がキーと考えられる。
彼らが生まれ、成長するとき日本はすでにバブルが弾け、不況真っ只中だったのだ。
彼らは知らない・・・日本が世界を席巻した時代があったことを。
ジャパンアズナンバーワン!なんて言葉もありました(笑)。

彼らの青春は、日本の失われた十年と合致する。
彼らは見てきたのだ。
リストラされる人々そして路頭に迷う家族、ギスギスした世間、閉塞感を感じる日本。
その目で日本の負の時代を見てきたからこそ彼らはリスクマネジメントに長けている。
モノの良い面だけを見るのではなく、負の側面も見る。
総合的に判断する。費用対効果も計算する。コストパフォーマンスなんて言葉も大好きだ。


書き忘れていたが対人関係にも保守的な一面が見える。
縦の繋がりよりも横の繋がりを重視する。
しかし、傷つくことを嫌うため、その関係性は脆弱で緩い繋がりだ。
また、縦の関係性を怖がる一面もある。さらに失敗を極端に恐れることもこの世代の特徴だ。
失敗するかもしれないのなら最初からチャレンジなどしない。
ちょっとしたチャレンジを生きるか死ぬかそんな選択のように感じてしまう。
自分の評価を極端に気にすることも多い。
そして、なにより彼らは平等を好む。
個性の平等ではない。(むしろワンポイントなど、小さなもので個性を出したがる。)
では、何の平等か・・・。結果の平等である。
努力や才能など関係ない、どんな過程を辿ろうとも同様の結果を願う。



傷つくことを恐れる、リスクを恐れる。
強い日本を知らない世代。
なにより安定を好む世代。
追うのではなく追われる日本を見てきた世代。
保守的だから良いとか悪いとかそんな単純な二元論は私は好きではない。だから言わない。
でもこれだけは言える。
失敗するのも恥をかくのも若いときにしかできない。
失うものがほとんどないからこそ果敢にアタックできる。
冷静にモノの価値のわかる世代だからこそ次世代のあるべき日本の姿が見えるのではないか。


日本の新しいシステムを作るのはこの世代だ。
日本は十分に負けた。
これからは日本のターンである。攻撃の回だ。
彼らを今まで十分にいじめたので、今度は彼らを取り巻く環境の方に。
最近の若者がモノを消費しないからといって、若者叩きをしてもどうにもならない。
全て若者のせいにして思考停止して愚痴をこぼすのは勝手だ。
どうぞ倒産なり消滅なりすればいい。
はっきり言おうか。団塊の世代のおバカさんどもに言ってるんだ。
そもそもこんな世代を生み出した元凶、リスク管理ができないためバブルを弾けさせた張本人たち。

あなたたちに最近の若者を批判する権利はない。
猛省して頂きたいくらいだ。

あとは、マスコミさん。彼らのことを草食系やシンプル族なんて呼んでることをテレビや本屋で見かけたことがあるけれど、彼らの反応は冷ややかだ。
特にこの世代は、マスメディアに対して、非常に厳しい視線を送っているためにこの世代が社会を回し始めたとき、真っ先に煽りを受けるのはあなたたちの業界だ。
視聴率や売上のためだけにメディアを動かす時代はもう終わる。



最後に、よくいつも口癖にようにどの時代でも、最近の若者は・・・って言われる。
でも、そんな戯言に付き合ってたらキリがない。
下の世代を叩いて悦に入る、愚かな人達はいつの時代もいる。
自分の育ってきた時代と下の世代が育ってきた時代が違うことは明らかなのに同列に語る者のなんと多いことか。
しかし、全て時代や環境のせいなのか。それも違う。

本質的にはそうなのかもしれないが、それでは変革や改善が起こらないからだ。
自分を変えるのは自分しかない。
だからこそ勇気を持って自分たちのために一歩踏み出して、システムを変えてくれると信じている。



今日はここまで。
・・・えっ? お前は何歳かって?
そりゃあ ひ・み・つ !


以下コメント


はじめまして、ぐーぜんヒットしました。

日本の気質が嫌いな立場からの文です。

俺は芸術家/音楽家目指してる大学生ですけどこの傾向が気になってます。
というのも小さい時から高校までその自由奔放をからかわれていじめられて来たからです。というか、自分の鳥みたいに自由な考えとかライフスタイルにこの息苦しさは似合わない。

でも周りの友達は97%この流れに居ます。普段仲良くてもここだけはほとんど誰とも折り合い着かない。

もちろんそこには日本という出る杭は打たれるという風潮も多少あるでしょう。
でも経済的理由が関係してると思います。もちろん経済だけじゃなくて、そういう国民性もあると思いますが。

で、何が言いたいかって言うと、今まで同じこのトピックについて死ぬ程色んな見解を見ましたがこのブログが1番的をついてると思います。

政治政治した文が多い中、恋愛とかライフスタイルについても書いてる辺り、等身大でするどい。しかもその通り。人生にガッ付かない。
だから俺が何か情熱的に言うと妙に感心されるか不思議な顔されます(^_^;)
お前らも何かブッ飛んだ事の1つ位やんないのかよ…つまらん奴だなって心ん中で言ってる(苦笑)

若者が皆そんな堅苦しい政治に耳を傾けません。
むしろあいつら若者は大人にサブリミナルに保守思考を擦込まれます。擦込んでる大人自身も無意識でしょう。

経済的理由について俺が自分の見解を言う必要が無い程ピッタリです。

素晴らしい

投稿: ぽむぽむ | 2010年2月26日 (金) 20時35分



ぽむぽむさん投稿ありがとう!
じっくり読ませて頂きました
私自身もぺーぺーの若者ですが同じ考えの人がいることがわかってとてもうれしかったです
お互いそれぞれの分野でこの社会を変えていけると良いですね
頑張りましょう!!


投稿: 雨ノ咲るみなす | 2010年3月 6日 (土) 23時55分





バブルが異常過ぎただけ。
あと今のこの不況続きで絶望しかない若者がとる行動といったら保守しかない
大事なのは我が身

投稿: | 2013年1月15日 (火) 20時43分

2012年12月2日日曜日

愛とは信じることではない、疑わないことである。

私達は、親子の間には愛情があると思っている。
夫婦の間にも、彼氏と彼女の間にも。
そして、どんな人間と人間の間にも愛があると思っている人たちもいる。

日本人は、神を信じていないとよく言われる。
人前で悪いことをしないのは何故かと問われると。
日本人の音としては、周りの目があるから、つまるところの世間様というものがあるからと答える。
欧米人は、違う。
彼らは、神様が見ているから、答える。
ここから見えるのは、日本人が集団との契約に対し、欧米人は神と個人との一対一の契約関係である。

その契約関係の悪い点を挙げるとすれば、日本人の場合、得てして足の引張り合いが起きやすいこと。
欧米人の場合、神が良しとすれば、殺人や戦争すら肯定できてしまう点にある。

特に我々日本人は、この神との契約関係から副生成される宗教を理由として起こる戦争を哀れんだり、 バカにしたりしがちである。

また、欧米人の一部は人間は神が作ったものと考える。進化論に正面から否定している。
果てはID理論などというものまで持ちだしている。

そういったこともあり、私達は欧米人を神なんて形のないものよく信じれるなと考えがちである。

だが、考えてみて欲しい。

私達が信じる愛というものも形がない。
なのに信じている。
多感な少女の読むコミックや小説は、愛であふれている。
POPカルチャー音楽も愛の歌で溢れている。

形が無くあるかどうかの存在証明など出来ないという点では神という存在と同義と考えられる。

もし我々があると信じている愛というものが、

実は、

支配欲や性欲や遺伝的アルゴリズムから来るプログラムの在り方だとすればどうだろう。

 そんなドライで目を背けたくなるようなものから作られているものを我々は「愛」と呼んでありがたがっているのだとしたら。

私はとてもこわいと感じる。

しかし、私は愛を否定しない。

人類の繁栄に愛が大きく貢献していることも認める。
それが、次に繋がるものだということも承知している。

 ただ、信じているものを疑うことも時として大事であり、その行為は非常に意味があると思う。


神の存在でさえ、勇気を持って疑問を持ちなさい。
神が存在するならば、愚かな恐怖心への服従よりも、根拠を立てることへの敬意に賛同されるに違いありません。トーマス・ジェファーソン






2012年9月30日日曜日

エンターテインメント作品の三層構造とは

この前、映画を観てきました。

アベンジャーズという映画です。

あの、「日本よ、これが映画だ」というなかなか挑戦的なキャッチコピーが話題の映画です。


結論から言うと、観た人間の個人的な感想としては、かなり残念でした。


何故かというと、アクションばかりで途中で飽きてしまったからです。
あの挑戦的なキャッチコピーだから、さぞ素晴らしい映画なのだろうという過度な期待をしてしまったことも原因な気はします。

ということで、映画だけにかかわらず、アニメ、ドラマ、マンガ、ゲーム、歌、演劇、小説などいわゆるエンターテインメント作品で良いもの、素晴らしいものとはどういうものかを今回は語ります。


これから説明する、三層構造はある評論家さんが言っていたものです。
それをベースに私の理論をそこに上乗せしています。


Google docで作ったスライドを見せながら説明します。




エンターテインメントは三層構造を持っています。
まず、表層(一層)の見せ場。
次に、中層(二層)のドラマ性。
そして、深層(三層)のテーマ性。


表層に近いものは、みる人の全面に押し出しわかりやすい方がいいです。
この、見せ場(一層)の表現方法が巧い代表例は、ハリウッド映画です。
豪快な爆発シーン!、緊迫感溢れる銃撃戦。まさにハリウッド映画の十八番ですね。
また、CMなんかで使われるのもこの見せ場です。
人の興味を引かせる大事な層です。


逆に、全面に押し出さずきちんと隠した方がよいものが、テーマ性(三層)です。
というのも、テーマ性とはその名の通りその作品がもっとも受け手に伝えたいことです。
だったら、なおさら全面に押し出し、みせ伝えた方がいいと思われますが、逆なのです。
一番伝えたいことだからこそ、隠さなければならない。
テーマ性を全面に押し出すと、説教くさくなり、受け手に響かないし、受け手の腑に落ちてくれないのです。
例えば、小学校の道徳や総合の時間に戦争やいじめの授業を受けてきました。
先生は子供たちに言います。「戦争は良くない、いじめはやめましょう。」

こどもに「いじめはやめましょう」と言えば、学校からいじめはなくなるのでしょうか。違いますよね。
また、戦争は良くない。 そんなことは誰にも言われなくても世界中の人がわかってます。
それでも、この世から紛争は無くなっていません。

理想論を押し付けるだけの言葉は、滑稽で、無力なのです。


だからこそ、本当に伝えたいテーマというものは隠して、こっそりと受け手の胸に忍び込ませないといけないのです。

あなたは、映画やドラマを見終わった後になぜか胸がざわざわするというか、何か引っ掛かりを感じたことはないでしょうか。
そして、しばらく経ったあとに、突然その映画やドラマのことを思いだし、そういうことか!と腑に落ちることがあるでしょうか。
もし、そういった経験があるのなら、それはすごく幸運なことで、良い作品に出会えている証拠です。


この表層と深層を繋ぐものが中層のドラマ性です。
この層の大事な役割は感情移入です。
いかに作品の主人公に受け手を自己投影させるか。
そのためには、いかに自然にみせるかがキモです。
具体的には、説明台詞を入れないとか、 構図を工夫するとかです。
最近のアニメで良い例があったので紹介します。

戦国コレクション 23話 「The Dune」 から
この話は幼稚園児の尼子経久がメインの回なのですが、あることで先生から叱られてしまいます。
その叱られているときに流れるのが、この画面。 何だコレ?


なにかというと、怒られているときの尼子経久の目線の高さを表現していたのです。

このように、幼い子が主人公ならその目線にカメラ位置を持ってきて、受け手もその状況に参加させているのです。



最後に 、この三層全体の厚みが作品の厚みや解釈の幅となります。
とくに、作品終了後に解釈を巡って大激論(良い意味で)が起きるような作品は、良い作品と言えるでしょう。
その例の代表例として初代機動戦士ガンダムなどがあるでしょう。
初代ガンダムは、事実上地球連邦の勝利で終わりますが、敵国として描かれたジオン公国の方にもかなりのファンがいます。
それは、敵として描かれていながらも、見る人の心を打つようなドラマ性や解釈の幅があるからでしょう。

 今回、この理論を借りる元になった評論家は、解釈の幅の良い例として、火垂るの墓を薦めていました。


いかがでしたでしょうか。
エンターテインメント作品における三層構造理解して頂けたでしょうか。

まぁ、難しい話と思わず、例えば映画を見終わった後などに知人にどういう内容で評価はどうだったのか伝えるときにこの三層構造を例に説明するとわかりやすいと思います。

本当に良い作品との出会いとは、素晴らしい友人を持つことと似ていると思います。
忘れようと思っても忘れられないし、大げさかもしれませんが、人生経験をさせてくれると思います。

皆様が良い作品と出会えることを願って・・・。




2012年8月13日月曜日

彼の国のオリンピックにおける政治的パフォーマンスについて

2012年のロンドンオリンピックが今日(8/13)、無事閉幕した。

ところが、何もトラブルがなかったかとそうではない。

サッカー男子3位決定戦で、日本に勝利した韓国チームのMF朴鍾佑(パク・ジョンウ、23)選手が試合後に竹島は韓国領であるとのプラカードを掲げ、政治的パフォーマンスを行ったのだ。

オリンピック憲章 Olympic Charter 2011年版・日本語 (2011年7月8日から有効) 
(pdf注意)

オリンピック憲章、50 広告、デモンストレーション、宣伝の章には、こうある。

3. オリンピック開催場所、会場、他のオリンピック・エリアにおいては、いかなる種類の示威行動または、政治的、宗教的、人種的な宣伝活動も認められない。

それは、世界的なスポーツの祭典に政治や宗教の話題は相応しくないと考えられていること。
世界中には、人種差別など様々な深い問題を抱えている人々がいる。
そういった人たちもオリンピックを通して伝えたいことがたくさんあるに違いない。
しかし、その主義主張の宣伝を許してしまえば、オリンピックが収集のつかないものになるのは明白である。

そういった意味でも、彼の今回の軽はずみな行動は、決して許されるものではない。

今回の騒動は日本と韓国の根深い政治的問題である。
しかし、私には少し違和感を覚えることがある。

現在、竹島(韓国名:独島)を実効支配しているのは、韓国である。
つまり、何もしていなくても韓国は別にいいはず。
何が言いたいかというと、今回のパフォーマンスを日本の選手がしたというならば、少しは納得できるのだ。
何故ならば、国際的なオリンピックで、竹島が現在、韓国に実行支配されていることを世界的にアピールして、国際的な世論を味方に付けたいという思惑があるから。

この問題を受けて、玄葉外相は国際司法裁判所へ提訴検討すると発表した。
国際司法裁判所へ提訴する場合、問題となっている二国間が了承しなければならない。
しかし、韓国側は、竹島は韓国固有の領土であり、日本との間に領土問題は存在しないというスタンスである。
この件でも、不可解である。
日本との間に領土問題が無いのなら、何故オリンピックで政治的アピールをしたのか。
そして、何故イ・ミョンバク大統領は竹島へ上陸をしたのだろう。

領土問題は存在しないのなら、むしろオリンピックで政治的アピールしたことは、むしろマイナスだと思う。
なぜなら、この件で問題となっていることを知った海外世論は、日本と韓国の間に領土問題があるのだと認識するからだ。

まったくもって不可解である。

実行支配しているにもかかわらず、必死に政治的主張をする。
領土問題は存在しないと言いつつ、必死に政治的主張をする。

彼らの思考はロジカルではないように感じる。